事故隠蔽のために私を退職させた上司。割り切りがたさを、乗り越えたものの、本当にこれで終わり?
ここまでのいきさつ 私を陥れた上司は、かつての同僚
バッタリ会う可能性があるなら、免疫がほしい
現実には
これがドラマなら、この上司と私は二度と会うことはなく、チャンチャン。
でも、現実には、「いらぬバッタリ出くわし」は、ありえる話。
もう会うことはない、見かけることもない、(新聞などで)名前を見ることもない。
それが理想なのですが。
会ってしまったらどうしよう
また、「会ってしまったらそんときはそんとき」と思えるなら良いのでしょうが、
「会ってしまったらどうしよう」などと、思ってしまう自分がいました。
この、まだ起きてもいないことについて、いちいち考えることについては、必ずしも良いとは限らない…。
でも、会ってしまったら、自分が不安定になるのは目に見えている。
避難訓練?
だから、予め心の準備をしようと思いました。
要は、「ふいうちの不安定」を避けたい。
そういうことだと思います。
避難訓練じゃないけれども、有事に備えた心準備をしたいと思いました。
最悪条件を想定しておけばいいだろうと。
免疫のつもり
新聞などで名前を見る、雑踏でたまたま見かける、の程度であれば、
一旦、「ま、そういうこともあるだろう」と、予想済みということで、心の中の免疫準備ができた、としておくことにしました。
問題は、顔を合わせてしまうことです。その状況を、場合分けして考えることにしました。
未来を意識した対策
ちなみに、この、まだ起きてもいないことを、あーだこーだと考えること自体、精神状態の悪化を招きかねない気はしました。
せっかく、大きく一区切りしたというのに。
ですが、考えている最中の私を包む色(?)のようなものは、暗くはなかったのです。
明るい色とまでは言えませんが、気持ち悪いものではない。
それはたぶん、備えたいという心の先に、未来を意識できるようになったからでしょう。
続きをごらんください 有事に備えて避難訓練
“ふいうちの不安は避けたい” への1件のフィードバック