和久わくこ和久わくこ

私は  !

ここまでのいきさつ 私を陥れた上司は、かつての同僚

ありえないはず、の「許したい心」の行先

私は無宗教です

私は、ぶっちゃけ、無宗教です(他国の人にそう言ったら、かなりヘンな顔をされましたが)。

知人血縁が他界した際には、神社仏閣の流れによる儀式に沿うことに異論はありません。

ただ、特定のカミサマは信じていません。

でも、「人智を越えるものに対する畏敬の念」を持つべきだとは思っています。

前世、現世、来世

その上で、漠然と、「これもアリ」かなと思うのは、前世、現世、来世というイメージです。

前世でのツケを現世の自分が負い、修行(?)する。

現世の自分の不始末は、来世にかかる。

貢献があったなら、それも良い意味で反映されるという、それ。

来世というもの

ツケだとか、修行だとか、貢献だとか、そのあり様は、よくわかりません。

ただ、来世ってもんが、未来のどこかにあるのだろうというイメージがあります。

自分の身体が役割を終えてからの、その先に。

在るのかないのかもわからず、誰の子孫なのか、そもそも、ニンゲンなのかもわからない、来世ってもんが。

「許す」などありえないのに

心の中の膨大な分量を占めているだろう、「無意識世界」では、私は、「上司を許してしまいたい」と言っている(ようだ)。

「意識世界」の私には、ありえないというのに。

来世に持ち越す?

2~3日前に、突如浮かんだのは

“「憎む」ことも「許す」こともできない、この世にいる限り”というフレーズでした。

そしていま、私を苦しめる「上司を許してしまいたい」というイメージを、来世に持ち越す?

そんな流れが急浮上しました。

もし、「許したい」気持ちを来世に持ち越せるなら、

“この世にいる限り”という乱暴(?)な思考を、一気に解決できる気がしてきました。

 

続きをごらんください “来世”あたりで穏やかに過ごす像