
パワハラ加害上司を「憎む」も「許す」もできない葛藤。どうしても湧き上がる「許したい」という感情の置き場は…。
ここまでのいきさつ 私を陥れた上司は、かつての同僚
「許したい」という本音の出口を自覚したら…
認めたくない気持ちのゆくえ
来世では、実直だった頃の上司と共に、楽しく充実した日々を共に過ごしているんだろう、そういうイメージ持ってみました。
就寝後は夢に現れる良い上司像に、起きている間は浮上する思い出群に翻弄されている自分。
つまり、「許したい」の本音を、必死に封じ込めようとし、苦しくなっている私でした。
それが、“楽しく過ごしているであろう来世”をイメージすることにより、一気に、出口を得ました。
事業所の企業理念に共感し、(勝手に)二人三脚のつもりになって働いていた頃のそれを。
「治った」と口をついて
退職後、PTSDと診断されました。
その半年後、あまりの葛藤の深さに、解決できそうもない絶望を実感。
正直、再起不能だと思いました。
でも、「許したい」気持ちの出口を自覚したその日、私は突如夫に、「治ったと思う」と口にしました。
口をついて出た、そういう感じでした。
重い葛藤の置きどころ
もちろん、完治ではないと思います。
でも、苦しみの大半を占めていた「葛藤」については、大きなヤマを越えたというのが適切だと思います。
私を苦しめた「憎む」も「許す」もできない葛藤と「劣化感」。
特に「憎む」「許す」の葛藤が極大だった。
それが一区切りついたのです。
正直、「劣化感」は、まるごと残っています。
それでも、(自分内の割り振りですが)9割はすっきりできた(治った)と思えました。
自分の病みの大部分を占めていた葛藤は、本当に重かった。
その重石を、ひょいとどこかに置くことができた気分です。
自分が自分である所以
でも、ラクになったように見えても、ただの思い付き?ひょっとして勘違い?気の持ちようでまたダメになる?
あまりに急激に変化したので、調子に乗ってはいけないと思い、数日様子見をしました。
完治ではない(はず)ということには留意しつつも、明らかにラクになったのが続き、以前の状態を脱したと実感できました!
今の自分から離れた場所、“来世”あたりで、
穏やかに過ごしている像を保ち続けることが、自然にできていたのです。
「再起不能」とまで思えていたけれども、自分が自分である所以を取り戻すことができて、本当に嬉しかったです。
ふっと、「よく生還できたな」という言葉が浮上し、しみじみ、納得しました。
続きをごらんください 葛藤を乗り越えて
““来世”あたりで穏やかに過ごす像” への1件のフィードバック