
私をパワハラ退職に追い込んだ上司を「憎む」も「許す」もできない葛藤。すっきりと割り切れる解決方法はどこにあるんだろう…。
客観的に見ることができたら、新たな気づきがあるはずなのに。
ここまでのいきさつ私を陥れた上司は、かつての同僚
そもそもなんで二者択一?
「許す」も「憎む」もできない葛藤。
でも、そもそも、なんで二者択一?
私の人生ってのは、その二者択一葛藤のフィールド上にだけ、在るのだろうか。
そうじゃない気はする。
だいいち、その上司との関わり期間は、4年半のみ。
私はそれ以外の、40年ほどの人生を経験しているわけで、一部の期間にすぎないことに、こんなに苦しむのはバランスが悪いような?
人間関係の規模でいっても、人生のうちの一部の人脈にすぎないというのに。
一部にすぎないことに、振り回され続けるのは無意味。
そう思った直後は、少しラクになりました。
でも、すぐに葛藤ネタが浮上し、苦しくなるのです。
客観視
事態をくくり直すキーワードを考えたり、天秤をイメージしたり、二者択一脱却を試みたり。
それはたぶん、今苦しんでいる自分を、少し離れた場所から見ようとしていると、思われます。
よくいわれる、客観視を試みているつもり。
でも、せっかく考えついた解決方法は、あっさり霧散してしまう。
法則で俯瞰
悩みごとがあっても、自分だったら、考えを深めることで、なんとかなると思っていました。
すっきりと割り切れる法則のようなものを、見つけ出せると思っていました(なまじ、そうやって解決した経験があったから)。
その法則で世を俯瞰できたらいいな、そんな思いもあった気がします。
でもそれは、ただの思い上がりでした。
地球の裏側に行きたい
でも、薬の量を2倍にして、四六時中眠る日々を送るのだけは嫌だ。
眠らず、起きた状態で、この葛藤から離れたらいいのだろう。
財力があるなら、地球の裏側あたりで2~3年過ごすとか(ありえない選択肢ですが、言うだけ言ってみた)できたらいいのですが。
理屈は役にたたない?
四六時中眠るのは、生きてないと同じことのように思えるので、薬をやめることにした私でした。
考える時間が失うのが、嫌だったのだと思います。
実際、薬をやめてから、考える時間は増えました。
そして新しい解決方法を思いついては、長持ちせずの繰り返し。
一見すっきり感をもたらしたはずの理屈は、実は役にたたない?
考える時間を増やしても、意味がない?
意図や理屈が及ばない世界
そして眠ってから見る夢は、上司との良い思い出。
どうして、憎んでいるはずの上司像は夢に出ないのだろう。
この「眠り」ってどういう世界なのかと、思いました。
自分の意図や理屈が及ばない、無意識の世界。
この「無意識世界」について、なにかヒントがあるような気がしてきました。
続きをごらんください 「無意識世界」の私とは…
“葛藤を客観視できたら” への1件のフィードバック