和久わくこ和久わくこ

私をパワハラ退職に追い込んだ上司を「憎む」も「許す」もできない葛藤。私の本音は、どっちなんだろう…。

ここまでのいきさつ 私を陥れた上司は、かつての同僚

夢に出る上司像と思い出群が訴えるもの

「意識世界」と「無意識世界」

以前ふれた文献から、「意識世界」と「無意識世界」を印象付けられたことを、ふと、思いだしました。

私は基本、自分の考え方次第でなんでも解決ができるはず、そう思いがちでした。

それは理詰めで、あくまで「意識がある状態」でのこと。

言い換えると「意識世界」。

でも、「無意識世界」の方が、分量的にはるかに大きく精神世界を占めていて、

「意識」で割り切るなど、ちゃんちゃらおかしいくらいの分量差だと、その文献にはありました。

感情と大きく関わる

「無意識世界」は、理屈など及ばない世界で、感情と大きく関わる。

ものごとを決めるのは、理屈だったり根拠だったりするように見えていても、実際は、“気分”による作用が大きいと。

理屈や根拠は、実は後付けだったりすると。

漠然と、“気持ち悪い”と感じることは、心を守る防衛でもあると。

山岸凉子氏の漫画

ちなみに、この「無意識世界」についての知識は、複数の文献から得させてもらったものです。

中でも、一番印象に残っているのは、「山岸凉子」氏の漫画作品です。

人智を越えるものについてのイメージを、わかりやすく伝えてくださいました。とても感謝しています。

夢に出てくる上司像と思い出群

してみれば、「意識世界」の私は、あれこれと列挙できる陰謀について考え、「憎む」方向へ向かっている。

そして、「無意識世界」の自分は、夢に出てくる上司像に象徴される、「どうしても憎いと思いきれない」という感情に覆われがちになる。

また、ふいに湧き上がる思い出群に、翻弄されがち。

この思い出群も、自分にとって予期しない流れで浮上するもの。

意識的にコントロールなどできない。

結果、本意じゃない行動に苦しむ上司を、気の毒に思う感情が湧き上がってしまう。

でも、「許す」など、できるはずもない、となり、どうどうめぐり。

私の本音は「上司を許したい」?!

「意識世界」の私は「憎む」べし、「無意識世界」の私は、「許す(許したい)」なんと、そういうことなのだと思いました。

目から鱗が落ちるとはこのこと?と思えるほど、大きく納得しました。

でも、「許したい??」そんなの認めたくない、ありえない。

速攻、全力否定です。

認めたくないけど、夢に出る上司像も、急に浮上する思い出群も、たしかにそんな感情と一緒になっている。

でも、それがわかったからといって、ラクになるというわけじゃない。

だって、「憎む」も「許す」もできないということに、変わりはないのですから!

いやむしろ、「許したい」のほうが、はるかに大きい?なんて、信じられない!

 

続きをごらんください 加害者である上司を「許したい」という感情