PTSDと診断され、つらい事実を薬によるぼんやり感でやり過ごしました。でも、詳細事実判明によって、より鋭角になった葛藤は、徐々に放置しておけないものになっていくのです。
ここまでのいきさつ 私を陥れた上司は、かつての同僚
敢えて崖っぷちに立つ選択
服薬の効果を突き抜ける不安
服薬をやめて半年で、当初、再起不能と思われていた葛藤を、乗り越えることができました。
薬の量を2倍にして、眠りっぱなしになるのだけは避けたかったから、薬をやめたのでした。
でも、医者の勧めに従わなかったのは、人に勧められることではありません。
服薬の効果をつき抜けて迫ってくる不安を、自覚しながら、断行したのですから。
時間をかけても安全策
医者が主張した、「過去の嫌なことから離れて、別なことをして時を経た上で、心の整理ができる力の醸成を待つ」というのも、理にかなっているのだろうと思います。
たぶん、その方が安全なのでしょう。
2~3年やら5年やら経過すれば、私が辿った経過とは別の流れで、対応力を得たのかもしれません。
私が私であるために
ただ、私は、「眠りっぱなしになって私が私でいられなくなる」ということを、どうしても、受け入れることはできなかった。
たとえ、私が私であろうとするがゆえに、私を滅することになろうとも。
心の問題は、問題の質も、その対応方法も千差万別。
十人十色、十件十色。葛藤の深さや規模もまた、計測不能推測不能。
その規模がどの程度であるかは、医者にも家族にも、そして自分自身ですら測ることはできない。
極彩色の混沌
多すぎる良い思い出と、冷たい現実の葛藤に苦しむ、それは、失恋に近いものがあるかもしれません。
しかもそれに、「自分をふった人が己の不本意行動に苦しんでいる」という要素が加わり、私の内心はぐにゃりと歪みました。
極彩色の混沌。
あとで思うに、傾眠傾向の弱い薬に替えてもらうという道もあったかな、とは思いました。
いきなりバッサリ薬をやめるより、ずっと現実的だと思います。
この当時は、医者に対して、話を自分の提案したい方向に持っていくこと自体、躊躇していました。
選択肢を複数持つことにも、考えが及びませんでした。
いずれにしても、できれば、混沌の詳細を、時間をかけて、医者に相談できればよかったのだろう、と思います(予約で)。
乱れ打ち
でも、おそらく、その相談を実行できたとしても、この当時の私では、状況説明自体、順を追って実行できなかったでしょう。
思いつくままに、乱れ打ちのように言葉を発し、理解してもらえるまで道のりが長い。
説明することに疲れ、理解してもらった実感も得られず、結果病みを深めることになったと思います。
理解も共感も
実際、親しい人に打ち明けたとき、そうなってしまいました。
友人は親身になってくれているのですが、私の方は、伝えたい内容が多すぎて、つんのめってしまう。
能率が悪いことに自分がうんざりし、結局、八つ当たりをしないよう頑張り通して電話を終えたものです。
理解も共感も得られず、疲れだけが残りました。
友人を巻き込み、時間の無駄遣いさせたことに鬱々となり、寝込む時間が増えてしまいました。
たまたま、結果オーライ
あくまで、「自分の場合に限っては」という前置きは必須ですが、
私の場合、半年間の服薬なし自己治療のようなものは、有効だったと思われます。
とはいえ、この結果オーライは、たまたま、そこに落ち着いただけで、
決して、人に勧められるものではありません。
本人は納得済みで断行したとしても、近くにいる人までも、崖っぷちに立たせることになるからです。
私の場合、夫に大きな負担をかけてしまいました。よく、投げ出されずに済んだと思っています。
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