私をパワハラ退職に追い込んだ上司を「憎む」も「許す」もできない葛藤。どうしても湧き上がる「許したい」という感情を、いったいどうしたら…。
ここまでのいきさつ私を陥れた上司は、かつての同僚
これは、本当に私の本音なの?
自分の「本音」を信じたくない
自分の本音は、なんと、「上司を許してしまいたい?!」
自分の中にそんな感情があるなんて、信じられません。
というか、信じたくもない。
「意識世界」と「無意識世界」の圧倒的分量差に納得したものの、その気づきでラクになんかならない。
ラクどころか、なおさら苦しい。
だって、「許したい」という感情の方が、圧倒的大きいなどと、どうして認めることができよう。
でも、苦しいからって、服薬2倍の四六時中眠る日常なんて、絶対に嫌だ。
この世にいる限り?!
休んだり悶々としたりの数日後、ふと、浮かんだことは、
“「憎む」ことも「許す」こともできない。この世にいる限り。”という言葉でした。
“この世にいる限り”?!
浮上したこのフレーズに、自分でも驚きました。
たしかに、自分がこの世からいなくなれば、命と共に苦しみも消える。
あるいは、対象上司が死んだら、(なんらかのプロセスを経て)自分の苦しみは形を変え、無理やり収束(?)するでしょう。
でも、この、身体が生き長らえるか滅するかは、私がどうこうできることでもないし、予測も不能。
この世じゃない在り場所?
この世にいる限り、「憎む」「許す」の葛藤から逃れられない。
でも、身体を滅する気はない。
でも、自分内で解決できる気がしない。
どうしても、「憎む」「許す」の両方が自分の中に在り続けるから。
自分の身体が生き長らえた上で、この、「憎む」「許す」の在り場所を離す、あるいはどこかの行先(?)を見つける?
「許したい」を切り離したい
今、自分の中の大きい部分を占めている「許したい」という気持ちを、切り離したい。
これがあるうちは、自分は前に進めそうもないから。
でも、夢に出る上司像を別人にすることができない。
どうしても湧き上がる思い出群を封じ込めることができない。
つまり、「なかったこと」にはできない。
在るには在るけど、別なところ?に在る。
その場には、こんな陰謀事変など関係なく、上司と私は楽しく過ごしている…そんな、切り離し方ができたらいいのだろうか…。
続きをごらんください この世じゃないどこか
“加害者である上司を「許したい」という感情” への1件のフィードバック