初任時代、パワハラに泣いた私を励ましたくれた先輩(仮称「バラム」)とは、温かい思い出を共有していました。
10年後の再会は、新たなステージの共有へと。
(著者のここまでのいきさつ→ https://datopawahawa.com/omoide1/ )
再会、そして独立した事業所へ
私はその後、家族事情の変化や結婚などの転機に伴い、10年ほど、別の事業所で働きました。
そして、「バラム」が実績を重ね、独立開業しているという話も耳にしました。
きめ細かな配慮と思い切った運営方法で、注目されていると。
同系列の職員が集う研修会で、10年ぶりに「バラム」に再会しました。
そして、「バラム」の事業所で働くよう熱心に勧められました。
共に働いてみたいと思えました。
その後、私自身の事情変化もあり、その独立開業している「バラム」の事業所で働くことにしたのです。
私の夫の仕事場との兼ね合いから、都合が良い面もありました(そして後々、情報収集上、助かる流れになりました)。
出世した先輩
「バラム」が経営する事業所は、「地域と共に、地域のために」を理念とし、ケア対象の家庭に役立てるよう、幅広い配慮をしていました。
介護が必要な老人だけではなく、その家族が抱える問題にも力になれるよう、
児童相談所や民生員、駐在、学校や教育委員会ともつながりを持って対応していました。
また、「働き方改革」を掲げ、職員の有給休暇の取得についても、他施設より充実していました。
かつて世話になった先輩が出世して成果を上げているような、
私もそんな誇らしい気持ちになっていました。
暴言でねじ伏せられ
ところが、着任早々、思わぬ展開になりました。
いきなり、多量のノルマを負うことになったのです。
私自身が新規で担当する家庭のほかに、急な体調不良で入院した職員(仮名加藤さん)の担当分も担ってほしいというものでした。
自分以外にも、加藤さんの代理をする適任が、すでに職場内にいるように思えました。
前述の通り、幅広いケアを実行している事業所です。
加藤さんの担当家庭では、複雑な問題を抱えていました。
着任早々では、引継ぎも非能率です。
しかも、以前からいるスタッフには、私よりも仕事が少ない人がいるように見えました(で、実際そうでした)。
期待してもらえるのはありがたいけれども、引き受けかねると申し出たところ、
「恨むなら(入院になった)加藤を恨め」と言い放たれました。
本音を汲み取り了承
そもそも、「バラム」の口調がぶっきらぼうであることは承知していましたし、話の流れから、その暴言は本意でないことはわかっていました。
要は、
「頼りにしていた加藤に休まれてしまって、困っているから、
なんとか頼む。
特殊な事情がある家庭なので、他の職員には難しいから、
私(和久わくこ)にお願いしたい。」
それが主訴なのだと思うことにし、引き受けることにしました。
かつての恩もありましたし。
恨んでいるだろう?
半年後、「バラム」が、(重責を背負わされて)恨んでいるだろう?と、バツが悪そうに話しかけてきました。
多忙ではありましたが、すでに仕事にも慣れ、概ね順調だった私は、軽くにらみ返したくらいにして、
ケーキに乗せるイチゴは、倍にするようリクエストしました。
誕生日ケーキにBBQ
というのは、「バラム」は、毎月、その月に誕生日を迎える職員に、自費でケーキを用意していたのです。
私のリクエスト通り、イチゴがたっぷり乗ったケーキをいただき、しっかり食べきりました。
「バラム」は、他にも、全て自前で準備してのバーベキューを主催しました。
眺めのいいウッドデッキに集い、同僚や関係職員と談笑したものです。
正直、多忙な日々でしたが、「バラム」が作った親しみやすい職場の雰囲気を存分に味わっていました。
その年の秋
そして、その年の秋。
系列事業所との行き来の途中、「バラム」は交通事故を起こしたのです。
それが後々、私の運命をガラリと変える元凶となりました。
続きをごらんください。 事故、隠蔽。それが後の禍のタネとなる。
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