事故隠蔽のために退職させられた私は、混乱し、病みました。背後事実を知り悲憤、さらに加害者上司も実は被害者?新たな事実判明に、なおさら大混乱…。
服薬で手に入れた穏やかな暮らし。でも、このままでは…。
ここまでのいきさつ→ 私を陥れた上司は、かつての同僚
「なぜ?」が浮上しなきゃいい?
「憎い」「憎んでいいんだろうか」この、相反する二つの感情のせめぎ合いについては、
薬で抑え込んでも、どうしても「気持ち悪さ」と一緒に、「なぜ?どうして?」が湧き上がってしまう。
薬を2倍にすると、うたた寝しがちな日々が、うたた寝どころか、眠りっぱなしの日々になる?
そうすると、たしかに「なぜ?どうして?」が浮上せずに過ごせるでしょう。
でも、それって?
壊れた自分
陰謀の全体像がわかるまでの間は、事実がひとつふたつと、判明するたびに、いちいちショックを受けました。
泣きわめいたり家族に当たったりと、すっかり壊れていた自分でした。
薬のおかげで、その頃の過ごし方は、なんとか穏やかなものにできたと思います。
混乱は3段階を経た
混乱の内容は変化しました。
それは、3段階だったと思います。
最初の段は、退職決定当初、「魔」に覆われたような混乱。
2段め、陰謀の事実を知ってからは、「魔」からは脱し、パワハラというよりも、なついた先輩からの裏切り行為への怒り、憎しみに変わりました。
そして3段め、最後の情報として、加害者である上司の行動は、実は本人不本意?という可能性が浮上。それによる混乱へと、変化しました。
3段めの段階では、相反する気持ちのせめぎ合いがある。
薬でピントをぼかしても、悩みのタネがそれを乗り越えてくる。
裏切りへの怒りと、上司不本意疑惑は、心の中の別ルートを通って浮上してくるのです。
ふいに浮上する思い出
陰謀事実とセットになって、自分に迫るのは、「憎しみ」。
そして、ふいに浮上するのが、「上司不本意疑惑」による「憎むことができない」感情。
「憎むことができない」感情を後押しするのは、上司との良い思い出なのです。
ありすぎるほどのそれ。
日常のちょっとしたきっかけで、上司との良い思い出が浮上するのです。
焼きそばを作るとき、ソースの小袋のはじを切ります。
そんなとき、上司がよく主催したBBQを必ず思いだすのです。
手際よく焼きそばを作る、上司でした。
予め、ソースの小袋5~6個の端を切って並べていたなと。
離島を舞台にした旅番組を見ると、上司がよくネタにしていたことを思い出します。
島好きな私の旅行先の地名を使い、「○○島の人」と、ちゃかすように私に話しかけていました。
そんな思い出群が、日々の暮らしの中で、予測不能なルートで湧き上がるのです。
何かのきっかけで、陰謀受傷を余計に思い出して、嫌な気分になって、
それをやりすごして寝付いたあと、夢に出てくるのは、楽しく充実した時間を共に過ごした上司。
夢に出てくる上司は、いつも、思い出深い頃の上司像。
「憎しみ」を純化させる?
「憎い」という気持ちに、集中(?)できない。
でも、「そもそも、そんなマイナスの感情に集中する必要はない」、医者の言葉通りだとは思います。
「クローズアップして深堀りすることに、なんの意味がある」、たしかに、そうも思いました。
憎しみを深堀りし、純化したって、加害者を殺したくなって、犯罪者になるだけ?
だから、感情を掘り下げて考えるのは、やめるべき?
いやむしろ、掘り下げて考えるべきは、「憎むことができない」感情のほう?
でも、それこそ、無意味なような。今後、上司と話すことなど、ありえないのに。
ただ、その相反する感情「憎む・憎むことができない」を、考えもせず放置することは、自分にとっては かえって良くないのでは。
だんだん、そう思えてきました。
薬をやめよう
憎む
(混乱し苦しんでいることを承知で、
見方ぶった上、退職させた)
憎むことができない
(血縁かつ恩人の指示に従うしかなく、
後遺症と己の非人道的行為に
苦しんでいる)
この、相反する気持ちは、何かのきっかけで、いきなり浮上する。
しかも強烈に。
薬によるぼんやり感を、乗り越えてくるほど強烈に。
すでに服薬により、うたた寝しがちな日々。
ぼんやりして眠って、じんわり泣いて、その境目がない日々。
その上、この、相反して浮上してくる気持ちをやり過ごすために、薬を増やし、四六時中眠る?
それでは、「私」が終わってしまう。
そう思いました。
「薬をやめよう」そう思いました。
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“壊れた自分。クスリとのかかわり。” への1件のフィードバック