こわれている世界を見る自分の中に、未だに、うずく傷があるのです。
上司が自身の事故隠蔽のために私を退職させた。その上司はかつてなついた先輩で、だからこそ私の受傷は深すぎたのです。
ここまでのいきさつ 私を陥れた上司は、かつての同僚
2020年4月、コロナ混迷のただなか
いったん、現在(2020年4月初め)の私から。
ここまで読んでくださった方は、これが、「パワハラ被害」でありつつも、別な要素も含む深い病みをもたらす事例だと、
すでにお気づきかもしれません。
私は、パワハラ退職後、懸命な情報収集と整理、自分の心の整頓に1年、費やしました。
情報を書き出し、読み直し、考察し、通院と服薬で徐々に回復しました。
その後、「今の自分がやれること」を少しずつ実行し、さらに半年ほど経過して今。
健全な心を取り戻しつつあると思いきや、世間はコロナ混迷の只中です。
自分の中に残る病み
世界中、執政者トップも混乱するほどの事態。
誰もが不安を抱えて日々を過ごしている昨今。
この国難的状況を認識した際、私の内部は未だ、病みの中に在ると実感しました。
1年半の闘病やらを経て、(限られた対象に向けてですが、)元気にふるまうことが、できるようになったはずです。
が、未だその実質は、カラ元気なのだなと。
ま、それでも、カラ元気だろうが、ないよりはマシです。
自己評価というのはそもそも、客観性はいまひとつですが、自分としては8~9割は治癒できた印象。
残り1~2割を乗り越えたら、完全元気な自分の出来上がりではないかと思っています。
PTSDのあと引き
ではなぜ、「自分は未だ病みの中」だと思えたかというと。
この壊れた世の中を見て、自分のごく一部に「ざまあみろ」的感情が在るからです。
とはいえ、高齢基礎疾患持ちの親を案じ、感染しないように日々努力しています。
なんとか、「持ちこたえてほしい」と心から思っています。
周囲の活動減退や疲弊による悲劇が起こらぬよう、私にできることを考え、実行しています。
でも、それとは別に、心の中のうんっとはじっこに在る感情が「ざまあみろ」なのです。
それを自覚するたび、痛みを伴いつつ…。
壊れた自分
私は、1年半前、壊れました。
壊れた自分から見える正常な世の中は、恨みの対象でした。
壊れた自分が正常な世界を見るという状況は、「絶望」そのものでした。
今の自分から見れば、あの状態から、よく生還できたと思えます。
ただ、まだ、私の中にはゆがみがある。
いまいちど、それを正す対処をしようと思っています。
「私を壊した世の中なんか、壊れてトーゼン、ざまあみろ」的感情は、私のごく一部に在るということからは目を背けず、(でもあまり注目しすぎず)治療の仕上げをしようと思っています。
前に進んでいる実感
明日、自分が感染するかもしれない、
いや、すでに感染しているかもしれない、
大切な人が感染し急変するかもしれない。
この混迷の負の連鎖で、命を落とす人が身近に出るかもしれない。
そんな中、ここに、自分の痛みやらなんやらを綴り続けることに、何の意味があるかは、わかりません。
ただ、紆余曲折の極みではありますが、今の自分は、前に進んでいる実感はあります。
たまたま、ここに訪れたあなたに、なんらかの役に立てるなら、幸いだと思えます。
次葉から、また、1年半前の事情吐露から再スタートします。
一読のおつきあい、ありがとうございました。
続きをごらんください 上司の口調は別人だった
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