和久わくこ和久わくこ

閉じ合う社会は、いずれ壁に当たるのでは。開き合える社会にできたら…。

ここまでのながれ コロナ不安を自己調整でやり過ごす

警戒すべきことを再確認し、低リスク世界を生き合う

皆でコロナ禍を克服したい…

未知のモノへの対応は、文字通りの暗中模索。

あとから、批判することは誰でもできる。

だから、あのときこうすべきだったということではなく、5月半ばの段階で、世の中がこうなったらいいのになと、自分的に思うことを述べます。

社会全体でコロナ禍を克服するには、

「組織的な感染対策と経済回し」が必要だと思うのです。

社会秩序の崩壊

アメリカでの話です。

どこぞの(忘れた)州の、どこぞの自治体で財政破綻があり、刑務所を維持できなくなった。

結果、受刑者が刑務所からあふれてしまう事態になった(コロナ禍の前)。

そして最近の話です。

遺体埋葬現場で、新型コロナ遺体が多すぎて、処理が間に合わない。

その上、留め置かれたトラックから異臭がし、中には遺体が100体越え…。

コロナ不安が浮上した当初、銃の売り上げ数が伸びたというアメリカ。

社会秩序の崩壊が、現実のものとして迫ってくる、不気味な足音を感じざるを得ません。

肺チョク感染の言及不足

5月中旬現在、「新しい生活様式」として、感染対策が報じられています。

ただ、私としては、肺チョク感染についての情報不足に危機感を覚えます。

逆に、屋外活動については、ビビりすぎに思えるのです。

屋外自体は、(行動内容によりますが)ほぼ問題なし、

トイレや休憩所などの建物への出入りは、いきなり要注意。

つまり、空の下はオッケ、ハコの中は警戒。

この区別こそが大事なのに。

 

場所的にハコの中は警戒、

行動内容的に大声大笑い歌運動は警戒。

経済死、精神死を避けたい

これからも、事態は好転したり逆行したりを繰り返すでしょう。

過去の歴史では、なんだか知らないけど、いきなり収束しましたの例もありますが、

それは、アテにできる話ではない。

このままでは、コロナ死よりも、経済死、精神死(生きていても)の方が、被害が大きくなる気がしてしまう…。

感染リスクゼロにこだれば、前に進まないと思う。

低リスクを受け入れ、閉じ合う世界じゃない、少しずつ開き合う世界にすべきでは…。

情報の再確認と今後の施策の理解を得る

じゃあ、具体的にどうするかというと。

誰か、エラい人がやってくれたらの、仮想夢想を述べてみます。

いまいちど、肺チョク感染の仕組みも含め、感染回避策の理解を広める。

テレビ放映2日間ほど、その情報配信のみにする(東日本大震災の頃を思い出しますが…)。

ネットでも徹底的に流布。

その内容に、組織的感染対策と経済を回す施策も含めておく。

大規模換気と徐ウィルス

(個人各自が防疫行動をするのは、当然として)

組織的に行う感染対策として、送風装置の設置、除ウィルス業の調整と担当人員配置を行う。

そして、コロナ専門病院や隔離施設を確保、新規建設推進とそれに関わる人員配置。

また、医療現場の負担軽減のために、医師看護師の免許がなくてもやれる仕事を洗い出し、加配する。

コロナ禍以前だと労働者不足だと言われた昨今でしたが、この突発的不景気で、仕事を失った人に、雇用の機会を作ることにつながれば…。

今、一時的に稼ぎがほしいという人が就労しやすいように、移動費宿泊費の補助もあれば、なお良いのでは…。

 

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