私をパワハラ退職に追い込んだ上司を「憎む」も「許す」もできない葛藤。苦しむことを承知の上で、それに立ち向かうことに…。
ここまでのいきさつ 私を陥れた上司は、かつての同僚
被害者、加害者、どのようにくくって考えようか
被害者は誰?
「許す」も「憎む」もできない。
この葛藤について、考察を重ねました。
別の角度から、この葛藤を考えてみます。
“被害者”という考えで、振り分けてみました。
「被害者は私」とすると「許せない」、「上司も被害者」とすると「憎むことができない」となる。
となれば、「私も上司も被害者」とすれば、収まる?
となると、上司に指示した地元議員が加害者となり、私と上司は共に、かわいそうな被害者として、割り切りやすくなる。
ちょっとすっきりした気分になりました。
共通の加害者?
私と上司が結託して?傷をなめあって?共通の加害者である地元議員に立ち向かう図を、想像してみました。
でもやっぱり、それには無理がある。
上司と最後に電話で会話したあの時、9月末の上司の口調には、本人の意志があったと感じるからです
(その半月前の9月中旬は、早口しどろもどろ。不本意感がにじんでいましたが)。
考えるのをやめて、窓の外を見ました。
人の移動が見えます。
その、結託した私と上司の図は、幼稚園児用の黄色い帽子をかぶった群像に、埋もれていきました。
「許す」も「憎む」も、保てない
「許す」ことができない。
許せるはずがない。
私が混乱し苦しんでいることを知りながら、これが死んでも狂ってもかまわぬという、決着なのだから。
でも、「憎む」感情を保つことができない。
ふいに湧き上がる思い出群。
思い出の中の実直な上司は、本人不本意によるこの顛末に、苦しんでいるように思えてしまう。
葛藤は両天秤?
相反する感情が両天秤に在る。
指針がどちらにも偏らず、中央で止まれば、苦しまずに過ごせるのだろうか。
止まる?それはない。
いくら止めたくっても、常に不安定なのだから。
止まる日が来るとも思えない。
あるいは、理科で習ったように、指針の振れ幅が両方等しくなるっていう「正しく釣り合っている状態」をめざせばいいのか?
ひっきりなしに左右に等しくふれる針、そんな状態を良しとするのか?
その針に重ねる自分像など、もはや、ほぼマンガ。
天秤イメージも、早速却下となりました。
続きをごらんください 葛藤を客観視できたら
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