本当の私(本当のあなた)を、取り戻そう!
あなたを狂わす小さな塊がもっと増える前に!
自分の中の愉悦
相手を不快にさせる行為をしてしまったとき、
そしてネットに関しては、「マイナスの言葉」、「傷つけるかもなコトバ」を書き込み、投稿ボタンをポチっと押したとき、
“ひょっとすると今、快感を感じてる?
自分の中に「愉悦」がある?”
それに、自分自身が気づけるようでありたいと、私は思っています。
ここまでのいきさつ 血を見て狂う?愉悦の自覚①
世の中には批判や苦言も必要
とはいえ、「批判や苦言を一切言うべきではないとか、書き込んだりするべきじゃない」とも思いません。
世の中、イエスマンばかりでは、検証は進みません。
進歩や発展も、しづらくなるからです。
ただやはり、批判は自分の名を明かしたうえで行うべきと思います。発言の責任を取るということです。
とはいえども…。
基本はそうだと思いますが、匿名にしておきたいことも、正直…、あります。
その場合、自分の心の中にある気持ちがどうであるか、
そこがとても!大切だと思うのです。
「ごめん」なのか「すっきり」なのか
(投稿)ボタンを押すときの自分の気分は、どちらであるか。
「厳しいこと言ってごめん」なのか、
「いじめてすっきり」なのか。
ここには、雲泥の差があると思うのです!
「いじめてすっきり」という「愉悦」を味わってしまうことによる、心に与える悪影響は、
“大切な自分”自身の心を蝕むと思うのです!
唯一の自分
“大切な自分”を“大切なあなた”に言い替えます。
そしてそれに関して、ありがちな言葉を言います。
「あなたは唯一の存在なのだから、自分を大切にしてね。」という言葉。
「いや、どーせ唯一だから、自分の勝手だし。」そう言いたくなる気持ち、わかります。
自分は唯一の存在だからこそ、自分の行動は自分の勝手。
「ネットいじめ」やろーがやるまいが、自分の勝手。確かにその通り。
大切に思ってくれる人って?
「あなたの周りには、あなたを大切に思う人がいる。(だから自分を律して行動しよう)」という言葉。
「いや、べつに、いねーし、いらねーし。」私も、そう思ったことがありました。
また、実際に“大切に思ってくれる人がいる”だとしても、
たとえ、非の打ち所のない温かい家族に恵まれていても、温かい団らんのある部屋の片隅で、ごくごく一瞬の行為で済んでしまう「誹謗中傷のポチっと」。
これもけっこう、ありがちなハナシ。
大切に思ってくれる人がいたところで、だから?ってハナシです。
真に楽しいことは
ただ、それは、真に、面白いことだろうか。
ずっとあなたを、わくわくさせ続けるだろうか。
ターゲットに対して、自分以外からの誹謗中傷コメントが、次々と目に入ると、「他にもあるし。へへへ、のっかっちゃえ。へへへ、言ってやったぜ。」
簡単に済んでしまう、「誹謗中傷のポチっと」。
おっと、「いいね」がこんなについたぞ!
どーだ!私って“先見の明”ありじゃん。さすが自分(ほくほく)!だとしても。
その行為は、真にあなたを楽しませ続けるのだろうか。
「ポチっと」するときの表情
これは本当の満足だろうか。
ずっと、あなたを幸せにする行為なんだろうか。
ビミョーに人目を避けて、「誹謗中傷のポチっと」を、今日も明日も明後日も積み重ねる。
自分の気まぐれで“ポチっと対象”をオモチャにし続ける“あなた自身”を想像してみよう。
そのとき、あなたはどんな表情をしてるんだろう。
日常いつでもできる「ポチっと」
心のゆがみに気づけるかどうかのポイントは、“マイナス内容を投稿するときに「愉悦」の気持ちがあるかどうか”たったそれだけ。
苦言を投稿したとき、「ごめんね」がない。
「愉悦」がある。
そう気づいたら、立ち止まろう。思い留まろう。
「愉悦」があるのに、その行為を積み重ねてしまえば、あなた自身がもっとゆがむ。ゆがみ続ける。
いつでもどこでも、気軽にできてしまう「ポチっと送信ボタン」。
あまりに、気軽にできてしまうものだから、日常のそこかしこに、自身をゆがめる危険が潜んでいる。
気づけるのは…
心の中のゆがみ。
それに気づけるのはあなた自身しかいない。
あなた自身が真に楽しく生きていくために、「愉悦」の自覚について、考えてほしいのです。
自分自身の心のゆがみこそ、危険。
その先には重篤な状態がある。
ゆがみに身を任せるのは、あなたの時間がもったいない。ただただ、それだけです。
だらだらした作業
人は、「やっちゃいけない」と強く思うと、逆にやりたくなるもの。
だから、離れよう。便利なものから離れよう。
敢えて、だらだらと時間がかかることをしよう。
どうでもいいことをしよう。
できれば、手や身体を使う作業をしよう。
雑巾がけとか、筋トレとか、さやいんげんの筋取りとか、ジグゾーパズルとか、毛玉取りとか、古新聞のカドを揃えて畳み直すとか、古いセーターの毛糸をほどいて編み直したりとか。
単純で、ダラダラしたことをやろう。
寄生虫に乗っ取られる!
自分ひとりで成立してしまう「ネットいじめ」。
ゆがんだ「愉悦」を感じることは、あなたの調子を狂わす小さな塊を生成する。
あらぬ方向に波及し、望ましくない方向に固定されていく。
それは、身体の中に少しずつ溜まっていき、寄生虫のように殖え、あなたの身体を乗っ取る。
あなたを狂わす小さな塊が増える前に
ネットいじめの果てに起こってしまった自殺は、世界中にある。
執拗に突きまわされて命を失う人が出る、あまりに悲しく、もったいないこと。
もちろん、そうされる側になりたくない。
そして、それを後押ししてしまう側に、なってはいけない。
人を傷つけることに「愉悦」を感じているか、それに気づく眼をもとう。
気づく眼を持ちさえすれば、立ち止まることもできる。
あなたを狂わす小さな塊が殖える(増える)前に、立ち止まろう。
重大な結果(重篤なあなた)に至る前に、気づき、立ち止まろう!
大切なあなたを守るために!
(行きも)帰りも、自分のみで完結できる!
「ネットいじめ加害」。
誰にも知られず、自分だけが実行できる。
だからこそ、気づき、立ち止まり、引き返すことができるのも、自分のみ。
この行動は、行きも帰りも、自分の内部のみで完結する。
これを読んでくれているあなたは、「愉悦を自覚」することが、きっと、できる。
気づき、そして、引き返そう!
大切な自分自身を守るために!
続きをごらんください 「感情のゆがみによる重篤な状態」愉悦の自覚⑤
“「本当は誹謗中傷をしたくないはず…なのに、やめられないあなたへ」愉悦の自覚④/6” への1件のフィードバック