自分が納得した上で感染対策をしつつ、自分のココロの面倒を自分でみる。
ここまでのながれ コロナ不安を自己調整でやり過ごす
自ら学び、心構えを持ち、元気な心を保とう
命の選別
やれるテはうって、人を動かし、経済を回す。
それにより、医療の対応力も上げていけると想定してみましたが、人が動けば、(感染対策の効果があったとしても)患者は増えると思います。
結果、悪条件が重なれば、医療の対応力を上回ってしまうことがあるかもしれない。
医療従事者が抱えるストレスの重さは、計り知れないものがありますが、
中でもつらいのが、究極場面での命の選別だと思います。
もしもの場合は自分より若い人へ
もし、自分が感染して人工呼吸器を装着することになった場合について、心に決めていることがあります。
それは、もし、台数(や担当医療従事者)が不足だった場合は、
(居合わせた状況によって、ありうるかも)
予め、若い人に譲ると明言しておくことです。
たとえ1日でも誕生日が遅い人に回してくれと。
つらい決断を下さなければならない人の負担を、ほんのちょっとでも軽減できたらという思いから。
(理想を言ってみれば、それを、「決まり事」として、先に人類皆が共有できたらな、などと、勝手に思います。
「決まり事」があれば、それを実行せねばならない人を、少しはラクにさせれるのではと…。)
心の中に新たな地平
私個人の日常に、話を戻します。
意図的に設定した「歌う時間」について。
最近、気に入りの曲が増えました。
それを歌っています。
歌うにふさわしい条件とはいえない場所(音響デッド)なのに、曲との出会いの喜びが影響しているからか、これまで出なかった音高で、するっと歌えたりする。
声域が広がったのがまた、とてもウレシイ。
この「ウレシイ」を味わうたびに、狭い部屋の中であっても、心の中で新たな地平が見える思いになるのです。
「ウレシイ」づくりの効能
わたくしごとの極みですが、私は一昨年、PTSDを患いました。
(くわしくは 信頼していた上司から葬られた!パワハラ退職詳細! です。39記事分もあります。)
1年半かけて、それを乗り越えましたが、その傷跡が まだうずくこともある…そんな頃、このコロナ禍に突入しました。
が、この、意図的に歌を歌うようにしてから、傷跡がどこかに消えました(すっかり忘れていたなと、あとで気づいた)!
治癒の仕上げ、最後の気がかりが、完全消失していたのです。
自分でも驚きました。
「ウレシイ」を見つけて味わうことの効能を、そういう意味でも実感できました。
元気な心が、ひとを励ます
生きるということは、それ自体、リスクを伴います。
強大なリスクの下では、人は無力です。
また、たかだか、心の持ちよう程度で、明日の生きる糧を得ることはできません。
でも、回避不能なリスクに見舞われる前に、先に心が折れてしまう例がとても多いように思うのです。
自分の心を元気に保って、今日を生きる。
今日も明日も、明後日も。
それが、自分、隣人、隣人からその隣人へと拡がっていったらなと、思います。
そこかしこに点在する、元気な心を持つ一人ひとりがそれを実行して、それがゆるゆると波及したらいいなと。
そしてそれが、ゆくゆくは、
各自の心を元気に保つことが、強大なリスクにさらされた人を励まし、役立つことにつながるのでは、
と思えるのです。
ここまで 読んでくださり、ありがとうございました。
了
“コロナ禍にあり、自分ができること「コロナ禍を生きる」⑮/15” への1件のフィードバック