終わったはずの事故隠蔽処理。しかし、それはゆがんだ後引きへと…。
事故隠蔽のため私を退職させた上司(仮称「バラム」)のもと、その後、多忙ながらも順調に働きました。そして…。
事故のことなど忘れ、10ヶ月経過
(ここまでのいきさつ → 私を陥れた上司は、かつての同僚)
私は隠蔽があったなど全く知らないまま、事故のことも忘れ、以降、通常通り働きました。
そして10ヶ月後の夏の終わり、状況変化が起こりました。
私自身の体調不良です。その理由は以下の通りです。
着任早々の重責
前年度の春、「バラム」の事業所に着任早々、私は重責を負いました。
自分の新規担当に加えて、急に入院した加藤さんの代理も引き受けた、といういきさつでした。
その加藤さんが、復調しました。
前年度のうちに退院し、業務軽減措置中でしたが、いよいよ、フルタイムで復帰できるとなったのです。
連日12時間以上の労働
加藤さんが継続して担当していた家庭は、家族構成が複雑で、様々な事情を抱えていました。
要介護老人、家人の病気や入れ替わりなどがあり、その家族内の問題に最も振り回されたのが、小学生である孫でした。家庭内暴力の懸念もあり、児童相談所、民生員、教育委員会、学校とも連携してケアしていました。
私はこの頃、基本、毎日12時間働いていました。
場合によっては、1~2時間の追加もありました。
仕事時間が長引くことについて、私自身、工夫の余地があったかもしれませんが、自分内改革はできませんでした。
(正直、同僚の中には、私より暇そうな人は複数、目につきましたが…。)
過労で病休へ
この復調した加藤さんは、本来仕事スキルが高く、頼りになる方です。
復調を知り、私はかなり、ほっとしました。
そして、代理担当していた家庭について引継ぎ後の8月末、私は、急な体調不良に襲われました。
自分が思っていたよりも、ずっと疲れが蓄積していたと自覚しました。
ほっとしたのを機に、ガタガタと一気にいろいろな不調が群発しました(腹痛、頭痛、発熱、めまい)。
過労ということで、当初ひと月分の診断書が出て、病休をとることになりました(9月1日~30日)。
「バラム」は、改めて、私を働かせすぎたという思いを強くしたようで、病休の取得について協力的でした。
去年の事故相手の身内がケア対象に
私が病休に入ってから、去年の事故相手議員の家族が、ケア対象となりました。
それに伴い、議員が事業所を訪問しました。
その訪問で、去年の事故車両撤収時、移動中にすれちがったのは私(和久わくこ)であると、議員が知ることになりました。
議員にとって、飲酒運転を隠蔽したはずなのに、事故車両を撤収前に目撃されたことは、見過ごせないことでした。
この後、私の周囲の潮目は、大きく変わっていったのです。
続きをごらんください 上司は事故隠蔽の最後の仕上げに私を退職へと
“隠蔽事故の翌年、上司は私を退職に追い込んだ!” への1件のフィードバック