役割を放棄した部長が、いきなり代表挨拶に立った。混乱した私に寄り添ってくれたのは、私に最も批判的だったYさんだった…
私や部員らを傷つけることを承知の上で
ここまでのながれ → 自死と事故死の境目「親友の死」①
私が怒りを覚えるのは当然のこと
理解不能な事態に見舞われ、不慣れな役割を懸命に務めたあげくの出来事。
この場面を思い出すと、今も、目頭が熱くなります。
「ふー」の行動の不可思議さによる混乱。
次に「今さらなんなの?!」という怒り。
私は、大勢の前に立ち、目立ちたかったというわけではないし、むしろ及び腰だった。
けれども、役割を放棄した人が、その「目立つ役」をかっさらって出るのはおかしい。
私が怒りを覚えるのは至極当然のことと、念押ししてくれたのが、他でもない、Yさんだった。
私は、いろいろな感情がごちゃまぜになって泣いていましたが、
最終的には「認めてもらえた」という、嬉し泣きの色を帯びていました。
責務を果たさず代表ヅラ
「ふー」登壇に至るいきさつを、改めて考えてみました。
部員以外は、「ふー」の部活動長期離脱を知りません。
壮行式の進行役の生徒が、それを知らずに「ふー」に、部長登壇を促したかもしれません。
でも、だとしても、不用意にその流れに乗らないよう、「ふー」だったら行動できるはず。
第一、その「部長としての責務を果たさず代表ヅラ」という奇妙な展開を、
部員全員(特に同学年)が「変」だと思うことを、「ふー」が、理解できないはずがない。
部長代理の私が複雑な思いをすることに、気づかないはずがない。
「ふー」の壇上挨拶は実に立派で、部員らや私に対するバツの悪さは、全く感じられませんでした。
むしろ、嬉々とした態度だったような…。
改めて湧き上がった、強烈な違和感。
部員らの気持ちを踏みにじった
この当時は、最終的に「Yさんに認められた」思いが残った私でした。
が、後で思うに、Yさんはひょっとすると、目の前で滔々と、「嘘の設定」で「部長らしく」挨拶した「ふー」を見て、あまりにがっかりしたのではないか。
それが私への言葉掛けにつながったのでは、とも思えます。
長期離脱のままだった「ふー」。部員らの、人を心配する気持ち、落胆する気持ちを放置したまま。
その上、(部活人生集大成の)壮行式で、部員だからこそわかる「嘘の設定」を、笑顔で貫き通した。
「ふー」は、私のみならず、部員(特に同学年)の気持ちを踏みにじったのです。
部活動で共に過ごした思い出も、ありえない色に塗りたくって。
困らせることを承知の上で
そもそも、そう、そもそも、部長が行かなくなれば、副部長の私にお鉢が回ることなど、「ふー」が わからないはずがない。
明らかに不適任だった私に。
やむを得ない事情があったにしても、私になんの説明もなく突然長期欠席に突入など、あまりに不自然。
家庭事情にしろ体調不良にしろ、その信憑性が疑わしい話も聞こえてくる。
長期離脱に至る前、自殺をほのめかす言葉を発していたとき、「あなたにはその話をしない」と言われたこと。
相談室に行っていたこと。
教員らが皆、「ふー」が部活を休む理由について口を閉ざし、腫れ物のような対応だったこと。
それらを改めて考え合わせると、「ふー」は、私に言うことをやめた「自殺ほのめかし」を、
相談室で話したのではないか。
そして、それとどうつながるかは不明だけれど、いずれにしろ、わざと、そう、最初っから、わざと、
私や部員を困らせることをしたのだと、思い至ったのです!
続きをごらんください → 鮮やかさと混沌の中学時代「親友の死」⑯
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