突然、練習に来なくなった部長「ふー」の替わりに、リーダー性なんかない私が練習の指示を?
ヒエラルキー下段のくせに仕切り役
ここまでのながれ → 自死と事故死の境目「親友の死」①
腫れ物扱い?深刻な悩み?
顧問の先生は、「ふー」欠席の理由を、一切、説明しませんでした。
不自然なほど。
腫れ物扱い?という気すらしました。
“相談室”から出てきた?それは、とても気になりました。
校内に相談室がありますが利用者がなく、開店休業状態だとカウンセリング担当の先生から聞いたことがあります。
そういえば以前、「ふー」自身が、相談室に行く人なんているのかなと、半ば、嘲笑めいた言い方をしたこともありました。
そこに行っている??
不慣れな役割
部活動の練習は、文化部でありながら筋トレからスタートし、発声練習、楽器の一斉ウォームアップ練習と進みます。
それらを、顧問の先生なしで部長が取り仕切るのですが、決まったパターンではあるので、メニューの開始、場面転換の指示をすれば練習が進んでいきます。
文句を言われたり ため息をつかれたりしながらも、不慣れな副部長の下、徐々に新人メンバーによる活動は なんとか それらしくなっていきました。
最初からナメられていたのだから
「誰も私の言うことを聞いてくれない」だとか「どうして反応が鈍いの」だとか、その都度がっかりしましたが、
いつまでも、くよくよしたり怒ったりなどしていられませんでした。
最初からナメられていたのですから、当然といえば当然。
自分がやれることをやり、工夫するしかない。
同学年部員らにとっても、「ふー」が部活動に来そうもないことを受け入れるまで、時間がかかりました。
が、諦めがついた頃、私に対し協力的になってきました。
役割が人を育てる
私の方も、集団を動かすノウハウを少しずつ身につけていきました。
「人というのは、3回言わないと動かない」とか。
数か月経った頃には、特に気負わずとも、練習メニューの指示や調整ができるようになりました。
そして、3年生、最上級生になり新1年生を迎える頃には、堂々としているとまで言われるようになりました。
“役割”が人を育てるという言葉がありますが、まさに私は、この立場に育ててもらったことになるのでしょう。
「ふー」に対する心配や混乱は、
この大きな自己改革の流れに巻き込まれるうちに、
どこかに 沈んでいきました。
でも、「ふー」の奇行(?)は、中2時代のそれで終わりではなかったのです。
続きをごらんください → 鮮やかさと混沌の中学時代「親友の死」⑭
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