コロナ禍で自分の心を守るために、自分ができることは…
ここまでのながれ コロナ不安を自己調整でやり過ごす
明らかに自分より大変な人がいるのだから…
夕焼けを美しいとは思えない
いきなり父談。
私の父は、地元の小売業で生計を立てて、私を育ててくれました。
子供の頃、カネの有無が どれほど人生を左右するかを、何度も聞かされたものでした。
父は言いました。
先々のゆとりある稼ぎが 見込まれなければ、お腹の底から笑えないと。
なんの心配もなく思いっきり笑えるのは、1年に何度もないと。
父は、家族を養うことに精一杯で、ゆとりを味える人生ではなかったと言います。
見事な夕焼けを見ても「美しい」と思えない。
感動するとは どういうことかわからないと。
そんな父が、「夜の霧」の一節を私に教えてくれました。後にふれます。
無収入の重さ
このコロナ禍で仕事を失い、生活困窮者が出ている昨今、父が繰り返し口にした言葉を思い出します。
それは、「(うかうかしていれば)無収入になる」という言葉。
それは、今も私の中の そこかしこに刻まれている言葉です。
明日の食費に苦しみ、自動販売機の取り忘れたお釣りを集め歩いて足しにする、そんなぎりぎりの生活をしている人もいる。
自分は今、(明日の生活費の心配をせずに)安心して家に こもっていられる身分。
そんな恵まれた分際でいながら、「自粛疲れ」を語っている自分が情けない。
命を削って働く人たち
己の命を削りながら 風評被害に耐えて医療現場で働く人もいる、
認知症のコロナ陽性患者のケアが限界に達し、絶望している介護施設職員もいる。
そういう、世の中には、明らかに自分よりも大変な人がいるんだ。
だから、泣き言を言わずに頑張らなくちゃ。
そう思って、自分を励ました頃もあります。
自分を鼓舞
でも、これは、前向きに自分を鼓舞しているように見えますが、実は自立していない。
一見、自立に見えていても、他者依存の自立だと思います。
実は、人に頼らず逞しく自立していることには なっていないのです。
○○より自分はマシなのだから
自分より頑張っている人の健気な姿を見ることで、自分も頑張ろうと思えるうちはいいのです。
でも、いずれ、虚しさを感じるようになったり、頑張っている自分の泣き言を、聞いてくれる人がいなかったりすると、心の安定を保てなくなります。
この、「○○より自分はマシだから、頑張ろう」の発想は、破綻の危険があります。
感情の鈍化はとても危険
心がくじけてしまえば、ものごとへの興味を失います。
テレビやネットで好きだったはずの芸能人を見ても、嬉しい気持ちになれない、
(かつて美しいと思えたはずの)景色を見ても、なんだか遠い、
以前、わくわくして取り組めたことも、ほったらかし。
感動を失い感情が鈍化するのは、とても危険。
そうなってしまえば、もはや自分の力で立ち直るのは無理だと思います。
自分の「ウレシイ」につながるもの
そうならないためにも、たとえ分量的に小さなものであっても、
自分自身の満足につながるものが、必要だと思うのです。
趣味であっても、ボランティア活動であっても、
それが自分の「ウレシイ」に つながるものが。
続きをごらんください 「夜の霧」の「水たまりに映る景色」
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