急逝した親友。順風満帆だったはずなのに、一転して荒れた暮らしに陥ってしまった…。
いきなりの自暴自棄
ここまでのながれ → 自死と事故死の境目「親友の死」①
私は親友の味方であるべき
突然の不可解な行動、酒、タバコ。
お義母さんの話を聞いているうちに、私は、「ふー」との関りの中で、思い当たることがあるような気がしてきました。
実は私自身、ずっと、「ふー」に対して抱いていた違和感があったことを思い出しました。
でもこれまで、なるべくそれに注目せずに、考えることを避けていたのです。
私は、お義母さんをラクにさせてあげる答えを知っているような…。
でも、お義母さんからの話を聞くのみで、故人である「ふー」の話を聞けない。
人間同士の問題について、一方的な情報ばかりでは、偏りがあるまま。
だから私は、お義母さんの話を鵜呑みにすることはできない、
私は、「ふー」の味方であるべき、そう思いました。
電話のむこうから伝わるもの
と思いつつも、電話のむこうに、明らかに苦悩を深めているお義母さんがいます。
私に、何か救いを求めているような感じが伝わるのです。
それにより お義母さんの力になりたいという思いも浮上し、
自分の中の相反する感情を、うまく処理できません。
そうこうしているうちに、先方に来客があったようで、長い電話を終えるきっかけができました。
正直、ほっとしました。
「私が言うのも何か変ですが、私の友達が、お世話になりました。」と言って電話を終えました。
後々まで残る悔い
墓参りの後、私はお義母さんの話を何度も思い出しました。
友人として「ふー」の味方であるべきだとか、故人の言い分を聞けないのだから考えても仕方がないと思っても、
苦しんでいたお義母さんの役に立てなかったことに、悔いが残るのです。
あの電話中に、「ふー」について違和感を覚えたことがあったと、言うべきだったのではないかと。
いきなりの自暴自棄
以降、「ふー」のお墓には数回行きました。
その時々、別の友人を連れて。
「ふー」は人気者でした。共通の友人知人は皆、墓参りを申し出てきました。
高校卒業後、何年も経過していても、思い出の中の「ふー」の、明るくて聡明な像が鮮やかに浮かびます。
機知に富んだ会話で周囲を楽しませた姿も…。
皆、突然だった、若いのにもったいなかった、そう言います。
でも、私が「ふー」に対して、実は長いこと抱えていた「違和感」を 話題にすることはありませんでした。
そもそも、共有できる気が、全くしなかったのです。
「ふー」のお義母さんとは、初めのお墓参り以降、接点はありません。
そして、20年以上経った今、片づけものをしつつ、中学高校時代の思い出のかけらを目にしました。
それらを見るにつけ、「ふー」との関りを思い出しました。
そして、私がずっと、自分の心の中に保留にしつづけていたことが、形を成してきたのです。
当時の自分が幼すぎてわからなかったことや、13歳から25歳までの期間を俯瞰して見えてくることなどが。
中学高校時代の、いきなりの自暴自棄行動や、理解不能な行動が。
続きをごらんください → 鮮やかさと混沌の中学時代「親友の死」⑧
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