和久わくこ和久わくこ

「♯コロナに負けるな」テキを知り、己の身と心を守る!

ここまでのながれ コロナ不安を自己調整でやり過ごす

都市部の残存ウィルスは多様で多量

新型コロナは凶暴な顔つき

そもそも、私たちは、目に見えないサイズの微生物、ウィルスやその他と共存共生している。

自分の平時の抵抗力で対応できる範囲に収まらないとき、発熱し、それでも退治できなければ重症化する。

身体に侵入されたら困るモノは多々あるけど、新型コロナウィルスは、その中でも凶悪な顔つきをしている。

多種多様ウィルスの厚塗り

その、そもそもの世界観を確認したあと、次に言及したいのは、ウィルスのバリエーションと量です。

まずは学んだことの羅列。

身体に侵入するウィルスは、宿主に入るごとに、そのはじっこに宿主サインを残す。

だから、時間をかけて手順をふめば、ウィルスが、誰を経由してきたかは調べられる(道程が複雑で長すぎるので、実施されていない)。

ウィルスは宿主の体内でのみ増殖。

ウィルス単体になると、時間経過と共に崩壊していく。

空中に浮遊したものが感染力を持つ場合もあるが、そのリスクは、限られた場合以外少なく、

なにかにくっついて残存しているウィルス対策の方が、はるかに重要。

エレベーターボタンとかつり革とか、不特定多数が触れるものは、多様で多量のウィルスが厚塗りされていくので、

それに触れた人の手、顔、目鼻口経由で感染に至ることがある。

インフルエンザ休校

僻地に赴任した養護教諭から、聞いた話ですが、

近隣市町村の学校でインフルエンザ休校になっても、自分の学校が休校にならないのはよくあることだそうです。

僻地といえども、通勤や用足し、子供の習い事などで人の行き来がけっこうあるのに。

移動に伴って、ウィルスがその僻地に入り込んでいるのは容易に想像できます。

が、問題は、量と多様性。

厚塗りか薄塗りか

都会では、多様で多量の残量ウィルスがそこかしこに厚塗りされている。

それがヒトの体内に入ると、体内の防疫機能が排除に頑張る。

防疫機能を、武器を持つ兵士に例えると、

都会では、多様な敵に対する多様な武器、大量の兵士が戦わないとヒトを守れない。

でも僻地では、バリエーションが少なく、量自体も少ないので、リスクが低くなる。

よく、僻地って遠いからウィルスが届いていないと言われるけど、届いてはいる。

残留分が薄化粧なだけ。

続きをごらんください 肺から肺へのチョク感染のリスク