上司(仮称「バラム」)は、自身の事故隠蔽のために私を退職させた。でもそれは、これまで接した「バラム」像とは、あまりに違っていて…
上司に指図した黒幕は、地元議員
ここまでのいきさつ 私を陥れた上司は、かつての同僚
混乱の極致にありながらも
上司「バラム」の突然の変化。
私にとっては「魔」に覆われたような混乱。
事故隠蔽を知るまで、理解不能の極致でした。
でも、その事実を知る前から、混乱の中にありながら、うすぼんやりと浮かぶことがありました。
それは、「どうしても「バラム」の本意とは思えない」ということでした。
9月中旬、私の復帰表明後、休むように「バラム」から勧めれたとき、その口調は、しどろもどろでした。
内容も迷走気味。
例えば、職場に協力してもらえれば助かると言っておきながら、急いで「あ、電話で」と付け加えたり、
体調万全での復帰を勧める流れにしておきながら、新規職員を採用したとし、それが聞き取れないくらいの早口だったりなど。
その不自然さのせいで、「バラム」による明確な意志が、伝わってこなかったからです。
私の心情は完全スルー
この事変以前は、私(和久わくこ)が納得していないことを知ったうえで、指示を押し通すということは、ほぼ、ありませんでした。
「ほぼ」というのは、たった一度、私の着任早々の所内人事では、ゴリ押しされたからです。
でも、それとても、折に触れ、私に対する謝罪の意思が見えました。
私が過労で倒れた際も、自分(「バラム」)が重責を担わさせたと、うなだれていました。
でも、この退職追い込み件では、納得どころか、私の心情は完全スルー。
気づかないように、ふれないようにしているとすら、思える。
「より良い職場づくり」の光と影
また、この事故とは関係ありませんが、一時的に職場から離れてみて気づいたことがあります。
「バラム」は、思い切った事業所運営で、注目されていましたが、その光と影があることです。
働き方改革(病休などの有給休暇充実も含む)と職員育成の具体的方策として、他施設にはない取り組み内容がありました。
実際、職員の育成に腐心していましたが、それには時間がかかります。
職員を育てるといえば、若い人の育成と思われがちですが、実は50代です。
職員の二極化
その50代職員は、「自分は長年、このやり方でやってきたから正しい」という、客観的根拠の乏しい自信のもと、職場の混乱を招いていても己の主張を通すのです。
ざっくり言えば、巷では「老害」と言われかねない職員に対しても、「バラム」は根気強く説得し、戦力として生かそうとしていました。
でも、やはり、その職員の貢献度は上がらないまま(しかも本人は自覚なし)。
またさらに、病休者が出れば実動職員数が減り、そのしわ寄せが、一部の職員に集まるのです。
多忙な職員と、そうでない職員の二極化が起きていたともいえます。
他にも、多忙化の要因として、ケア対象家族について、かなり幅広く支援することも大きいです。
勤労意欲など不要だった
私は、「バラム」の企業理念に共感し、より良い事業所づくりに、「バラム」と同一歩調で協力できていたつもりでした。
自分の貢献度を過大評価していただけ、かもしれませんが、私には、その自負があったのです。
その自負があったからこそ、私の悲憤も大きかった。
こんなことになるなら、自負も持たず、貢献できているかにも関心を払わずに、ゆるく過ごせば良かったと思いました。
「勤労意欲」など、不要だったのだと。
「バラム」との二人三脚(と勝手に思っていた)をイメージしていたほどの、充実した日々の全ては無意味だった、そう思えてしまう。
でも…。
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“退職に仕向けられた、というより仕組まれた?” への1件のフィードバック