安心して家にこもっていられる身分。忙しい人に「ごめんなさい」。でも、それだけでは…。
ここまでのながれ コロナ不安を自己調整でやり過ごす
自分版感染防止対策と「ウレシイ」づくり
歌いたいときに歌いたい
私は歌好きです。
人様の歌をわざわざ購入して聴くことは、ほとんどなく、「歌いたいと思ったときに歌う」のが好き、それだけです。
人の歌声に合わせて、ハモることも、かなり好きです。
ハモるための音に狙いをつけて臨機応変に音高を操作する、これがまた、楽しくてしょうがない。
でも、これを、やりたいまま実行してしまうと、近距離対面で歌うという、肺チョク感染リスクの極みです。
思い切りハモリたい
肺チョク感染の想定場面(歌、大声、大笑い、運動)は全て、屋外であれば、リスクは一気に下がると思います。
対面方向は避け、隣人との間を空ければ、さらに下がる。
だから、私としては屋外ステージ(音響反射板と屋根があればいい)で、ハモリ相手と2メートル離れて立ち、歌いまくりたい。
同好の士がいたなら、ぜひ実行したいです。(が、そこまでの歌好き兼、リスク理解の共有可能な相手はなかなかいない…。)
やりたいことをやりたい
自分の心を守るには、「やりたいことをやれる」のが大切だと思います。
感染を防ぎ、周囲の人を冷や冷やさせず、「やりたいことをやれる」ことが。
「夜と霧」の「水たまり」
父が私に勧めてくれたのは、ヴィクトール.E.フランクルの著作、「夜と霧」です。
この本の一節から、とても印象に残る「気づき」をいただきました。
生命の極限状態にあるアウシュビッツにいても、「水たまりに映る美しい景色に心を動かされること」を支えに危機的状況を乗り越えることができた。と。
著作の中には、それ以外にも読者に訴えるものが多々ありますが、
私はその、「水たまりに映る景色」への注目に、衝撃を受けました。
「感動」が、人を救うこともあるのだと。
歌えるところ
そして、私の場合の、自分を救ってくれるそれは、歌える場所を見つけることだと思いました。
近所迷惑対策として、部屋の一角に、段ボールの間仕切りと、シーツなどで囲んだ吸音空間を設けました。
他者から見れば嘲笑ものですが、そのコーナーで、そして近所の神社で、歌う時間を、意図的に作りました(ハモる相手については映像という地味実行)。
元気な心で泳ぎきるために
感染防止のために留意することの、自分版を自分で決める。
そして、嬉しさや楽しさを味わえる時間を作る。
やっていいコト、
思いっきりやればいいコトを、自分で決める。
つまり、
自分版感染防止対策と自分版「ウレシイ」づくり。
それが、このコロナ禍を元気な心で泳ぎ切る方法だと、私は信じています。
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